人若不恨谁的话, 就会完蛋哦

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自暴自弃

正确的事,全部委托机器人去做。我们,只管不讲道理,情绪化地,支离破碎地,叫嚷叹息,哭累之后,就沉沉睡去。每日,每次呼吸,绿色的景物又生长了一些。莫名觉得,自己仿佛正吐出一座山,有点反胃。阵雨,云隙, 阴霾的天空,所有这一切,转瞬即逝,与我擦身而去。必然向某处流逝的天空,怎么可能留意到我。夏天来了,冬天来了,为了那些透明的事物, 我褪去长袖,穿起半袖,一直用时髦的衣裳,补偿无法褪换毛发的悲哀。

街市,是由人沉淀而成的聚落。湖中,死去而腐烂的鱼与水草,沉淀后,在水底聚合为新的泥土。细菌分解而成的生命,化作无法食用的泥土,这段时间,是几亿年,还是零点几秒?我,化身为街边的一块水泥碎片,而变成幸福的四口之家房子里的地板,又将在几年以后?我敢说,自己正是为此而诞生在世间。

我想说,毫无来由地,忽而坠入一段恋爱,这挺浪漫,因此忽而憎恨起谁来,也有一种诗意。曾经觉得,谁都不爱也无所谓,但无论对谁,都生不出宁愿诅咒他去死的恨意,才是问题。好想恨你。甚至找借口:人若不恨谁的话, 就会完蛋哦。梦破碎了,山河仍在。我想早早化身为山河。想对那些活着而拼命寻求幸福的人,鄙夷地抛下一句“庸俗”,而后,化身为最最平庸的山河。

作者 / [日本] 最果夕日
翻译 / 匡匡
选自 / 《夜空总有最大密度的蓝色》世纪文景出版

やぶれかぶれ

正しい ことはすべてロボッ卜に任せてしまって、私たちは理不尽に、感情的に支離滅裂に、わめいて嘆いて、泣きつかれたら眠りましょう。每日、息をするたび少しだけ、緑の景色が作れること、なんだか山在吐き出しているようで気持ち悪い。タ立も、晴れ間も、曇り空も、すべてはすれ遣っていくものだ。かならずどこかへ去っていく空が、私を見つけているわけもない。夏が来たから、冬が来たから、そんな透明なもののために、長袖を脱いだり、半袖を着たり、毛がはえかわらない惨めさを、ずっとファッションで補っている。

街は、人が沈殿してできたものです。湖で、死んで腐り落ちた魚と草が、沈殿して底に新しい土を作る。バクテリアが分解をした生命が、食べることもできない土になる時間は、何億年、コンマ何秒?私が街のコンクリートのひとかけらになって、しあわせな4人家族のお家の床になるのは何年後だろう。そのために、生まれたんです。言い切るんです。

とりとめもなく突然に、恋をすることはロマンチックで、だから突然、誰かを憎むこと、それもポ工ジーだて言いたい。誰も愛してないのはどうでもよかった、誰にも、死ねって思わないのが問題だった。人間誰か憎まないとおしまいですよって、言い訳でもして、お前のこと嫌いになりたい。夢破れて山河あり。私さっさと山河になりたい。生きて必死で幸福探す人を下品って言い捨てて、一番下品な山河になりたい。

最果タヒ

 

“人若不恨谁的话,就会完蛋哦。”

人若不爱谁呢?怕是已经完蛋了。

还有恨,说明还有纠结,还有着情感上的活动,还没有死透。因为“爱的反面不是恨,而是冷漠。”

今天这首诗来自日本一位当红的女诗人,主要是用手机在Twitter上写,却拿了许多诗歌大奖,2014年的诗集《给死亡系的我们》在日本卖到1.8万册,算是很畅销的诗集了,看来日本的诗歌出版也还是很小众的一件事。起码之前读睡的好朋友浦睿文化出的辛波斯卡那本《万物静默如谜》销售破了10万册。

最果夕日这个名字,是“宇宙尽头的落日”的意思,非常的少女气息。虽然她也三十出头了,诗却主要关注“十几岁的少年少女”。她的理由是:“是因为那个年纪的人,还不能完全客观地审视自身,又不满足于仅凭感情行动的状态。他们不知道自己到底想说些什么,脱口而出的话语脱离自身甚至违背自己内心原本的情感,他们因此焦躁不安。这种状态,我觉得与‘诗’非常相近,所以我喜欢写他们。”

现在,最果夕日的最新的诗集也有了中译本,《夜空总有最大密度的蓝色》,而且被拍成了电影,《编舟记》的导演石井裕也操刀,可以期待一下。

荐诗 / 照朗
2018/12/20

 

 

 

题图 / Laura Wächter

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